山野草の中に、クマガイソウ・アツモリソウというのがある。どちらもラン科の多年草で、花の姿を武士の背負った母衣(ほろ)に見立てた命名である。源平合戦の熊谷次郎直実と平敦盛の逸話は平家物語でも哀切な場面として有名である。一の谷の戦いで一騎打ちとなった二人、直実が敦盛を討とうとして顔を見ると、わが子小次郎と同じくらいの十六、七の若者、直実はいったん助けて逃がそうと考えたが、周りは味方の軍勢ばかり、敦盛は、「さっさと首を取れ」と目を閉じた。やむなく討ち取らざるを得なかった直実は、悲嘆にくれて討ち取るのであった。そして、首を丁重に葬るために泣く泣く敦盛の鎧をといた。すると、腰のあたりから錦の袋におさめた笛が出てきた。敦盛は笛の名手であったのだ。ますます心を打たれて「そういえば今朝早く、平家の陣内から笛の音が聞こえてきたが、この若者が吹いていたのであろう。わが源氏には何万という軍がいるけれども、この戦のさなかに笛を奏するなどという教養と風雅の心を持つものはいるまい。やはり、都の公達の文化をもつ人々は違うものだ。」と、源氏の陣地に報告した。すると、将軍たちも皆、さすがに涙を流したという。直実はその後、この世の無常を感じて出家してしまうのだが、「青葉」(または小枝)という敦盛の笛を屋島にいる父・平経盛のもとへ送ったと伝えられている。

<文部省唱歌 青葉の笛>

一の谷の 軍(いくさ)破れ
討たれし平家の 公達あわれ
暁寒き 須磨の嵐に
聞こえしはこれか 青葉の笛

更くる夜半に 門(かど)を敲(たた)
わが師に託せし 言の葉あわれ
今わの際(きわ)まで 持ちし箙(えびら)
残れるは「花や今宵」の歌

「行(ゆ)き暮れて 木(こ)の下蔭を 宿とせば
花や今宵の 主(あるじ)ならまし」(平 忠度)