稚内港北防波堤ドーム
宗谷岬にある歌碑「流氷とけて~」

横手ー青森ー函館(泊)ー札幌ー旭川ー稚内(泊)宗谷岬ー利尻島(泊)ー礼文島(泊)ー稚内ー旭川(3泊)ー札幌ー函館ー青森ー浅虫温泉(泊)ー横手

6月12~20日、以前から一度は行きたいと願っていた北の離島を訪れた。妻の退職慰労が名目の旅であったが、本人は屋久島の縄文杉を第一候補に挙げ、利尻島・礼文島は第二候補であった。しかし、縄文杉はハードな登山ということでお預けとなり、この度は北へ向かうことにした。高齢の母を含む家族旅行にしたため、利尻富士などの登山は諦め、島内観光が中心の旅となった。島巡りをするにもバスなどでは不便なので、自家用車で島へ渡った。おかげで時間を気にすることなく、自分たちのペースで見て回ることができた。

海辺の桜

稚内では予想以上に到着が早かった(高速道路への接続路が数十キロもあった)ので、帰島後を予定していた宗谷岬を訪れることにした。「日本最北端の地」に降り立ち、今度は最南端の地を…などと話しながら帰った。途中、北限の地らしい光景を目にした。6月中旬だというのになんと八重桜が咲いていたのである。秋田とはほぼ1か月半の差がある。上下2車線の道路で危なかったが、逸る気持ちを抑え、横断して撮影してきた。

利尻島に渡った日はあいにくの曇り空だったが、島をゆっくりと一周した。約60kmの距離を海岸沿いに回り、主な場所を観光し、宿の近場は翌日に回した。

オタトマリ沼、海が近いせいか休んでいたのはカモなどではなく、ウミネコの群れであった。

 

さとう食堂のうに丼、庶民には高かった、でも、やはり生はうまかった。

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展望台からフェリーターミナル・ペシ岬を望む
チシマフウロ……島のいたる所に咲いていた。

 

ここで、ウニの思い出を一つ…。三陸の釜石市両石町に伯父家族が住んでいた。中学生の頃、家族で両石へ遊びに行き、櫓漕ぎの船でいとこや叔父夫婦と小さな浜へ渡り、磯遊びをしたことがあった。(その頃は両石のおじいさんが漁師をしていて、漁業権をもっていた。櫓漕ぎも初めて教わった。)潜ってアワビやウニなどを採り、その場で食べるのであった。生のウニやアワビの味はもちろん初めての体験で、ウニの割り方やアワビの採り方も初めて教わった。アワビは船で少し沖へ出て、素潜りをして採る。たぶん5メートルくらいの水深であったろう。自分の体が木の葉のようで沈むのに苦労した。ウニはただ採ればいいのだが、アワビを採るには鉄製の鍵で貝を岩からはがすのである。ところが、鍵を差し込む場所がある。貝を人間の手で例えれば、指をそろえて床に伏せた形を思い描いてもらいたい。床が岩である。鍵は親指の付け根あたりの厚いところにささないと採れない。指先の薄い方は貝が欠けても岩からはがれない。2~3個採って、いい気になった頃であった。大物を見つけたがなかなかはがれず、息が苦しくなって、鍵をアワビに付けたまま上がってきてしまった。なくしたらどうしようと焦るが、昆布やワカメが繁茂していて漂い、元の場所がわからない。しばらく潜り続けて、やっと見つけてアワビごと採って帰ることができた。みんなに「これは大物だ」と喜ばれはしたが、私自身、素直に喜べなかったのである。

残念ながら1歳上のいとこは40歳そこそこで早死にし、伯父夫婦は東日本大震災で家ごと流されてしまった。美しい海岸と親しい人たち…。ウニ・アワビの味と共に、忘れられない鮮明な思い出である。

 

港から見たペシ岬

翌日はペシ岬に登った。標高は94mくらいだそうだが、急な登りで断崖の尾根筋にある階段に金属のチェーンが柵として張ってある。それを頼りに登るのであった。崖から吹き上げてくる風に足を踏ん張り登ったが、途中で断念してしまった。休んでいたら鶺鴒らしき鳥がやってきた。強風の上手だったせいか、すぐ近くに止まった。途中、若い二人連れの女性に会ったが、チェーンには手もかけずにいかにも楽しそうに降りてきた。私だって若いころは高所恐怖症ではなかったのに…体力はあったのだが怖さには負けてしまった。妻には「命根性が汚い。」などと言われる始末であった。

絶壁に咲くエゾカンゾウ
何という鳥だろう。
利尻島からはるか沖に礼文島が見えた。
フェリーに乗り、礼文島へ。改めて島全体を見渡すと、利尻富士が中心の、この山のための島といった威容である。

礼文島のレブンアツモリソウを見る(撮る)のが、密かな私の旅の目的だったが、かろうじて間に合ったのは望外の幸せであった。というのも、パンフレットなどでは花期が5月末から6月上旬となっていたため、ほとんど望み薄だなと諦め半分でいたのだ。群生地へ着いたら、ほとんどの株がしおれて、盛期は過ぎ去ったことを示していた。「ああ、はるばる来たのに遅かったか」と内心がっくりときたが、一応駐車スペースに車を止めた。すると一日の仕事を終えて後片付けをしていたガイドのおじさんが言った。「ここも今日で閉めるんだ。途中の空地を見て来なかったのか。向こうはまだ咲いてるよ。」と教えてくれた。正にこの日、今日でなければならなかった。しかも、私が行ったのは閉鎖直前の最後の時間だったのだ。なんという幸運!  撮影データ(2017年6月15日、15時25分38秒。Tv1/500・Av4.0・ISO感度200・露出補正+2/3)

勇んで行ったら、ほぼ完璧な一株に出会うことができた。アツモリソウそのものが貴重な山野草なのに加えて、礼文島の固有種なのだから人気があるのは当然で、実物はそうした人間の思いを叶えて余りある、高貴な品格のある花であった。なにせ花期の終わりで満足できるのはこの株しか見当たらず、撮影の失敗はできないと緊張しながら撮った一枚である。

レブンアツモリソウ……ついに会うことができた。それにしても無造作に丘の斜面にたくさん咲いている。山野草なのだから当たり前かと妙な心持になる。平敦盛と熊谷次郎直実の逸話は平家物語に詳しいが、若き笛の名手である平家の公達のことが偲ばれる高貴な美しい花である。以前、クマガイソウの写真も撮ったが、アツモリソウをかなり地味にした感じである。(残念ながらフィルム時代の撮影のため挿入できず…)今日は、長年会わずにいた恋人を目の前にした気分である。
花の命は短くて……これでもよいほうで、他の株は無残な姿であった。

利尻島も礼文島もさほど大きな島ではないため、車で回ると半日もあれば主だったところは見学できる。やはりここは「花の島」というのにふさわしい気がした。どちらにも高山植物が豊富で、植物園では数多く植栽されていた。一部間違いもあったが(ノビネドリ)、時間をかけて見学、撮影できる場所で、他の観光客は皆無であったのもうれしいことであった。珍しいものや心惹かれたいくつかを紹介しよう。(写真をクリックすると拡大されます。)

礼文島は利尻のように島を一周することはできなかった。断崖が海に迫り、道路が拓かれていないのだ。島の反対側に行くのにも長いトンネルを通ったほどである。山の上に細い道はあったけれども通行止めであった。貴重な動植物にはこうした険しい条件が、最もありがたい環境を形成しているのかもしれない。一番恐ろしい敵は人間なのだろう。レブンアツモリソウの群生地にあった小さな看板がそれを物語っている。「盗掘から植物を守ろう」 さらに思い出した。この後7~8枚めにある北のカナリアパークでは、校舎の隣に花壇があり、たくさんの花々が植栽されていた。しかし、残念なことには、「只今 監視カメラ作動中」とあった。(写真の右端に映っている)

猫岩と言うそうだ。
桃岩…反対側の猫岩の上なのかと思っていたら、後ろにあった。
胸を洗われる早朝の絶景。路線バスが観光地を巡っているようで、1台駐車場に止まっていた。しかし、早い時間帯だったので乗客はたった一人の老女だった。
展望台から遠くに地蔵岩を望む。
地蔵岩
澄海岬…「すかいみさき」…なんとも美しい命名でる。
2012年公開の映画「北のカナリアたち」のロケのために作られた小学校(分校)
「北のカナリアパーク」分校周辺の広大な草原

憧れの島に別れを告げ、稚内へ。島へ渡る時は風が強くてフェリーが運航されるか心配もしたが、帰りは快晴で波もない快適な旅となった。

船上から見た稚内ノシャップ(野寒布)岬。なお、よく似たノサップ(納沙布)岬は根室市にある。
帰港が近づいた船上から、遠くに利尻富士が見えた。

旭川へ行き3泊、孫の顔を見る。旭山動物園にも行き、北海道を離れる。旅の終わりは浅虫温泉で「田酒」の冷酒を傾けて、温泉に浸かって眠る。最後まで天気に恵まれた良い旅であった。

ホテル5階の窓から、日没に癒される。

 

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