赤の記憶

鳥海山を望む夕景

何歳の頃だろうか、秋の夕暮れ時のことである。リヤカーに満載された稲の上に弟と二人乗せられて家に帰るのである。一日の稲上げの仕事が終わり、やっと帰れる喜びに満たされていた。リヤカーを引くのは父、押すのは母である。仰向けに眺めた真っ赤な空一面に、赤とんぼの大群が輝いていた。赤とんぼを見ると、この少年の日の光景が浮かんでくることがある。

 

 

 

黄の記憶

傷んだものしかなく、失敬

夏の終わり頃になると、胡桃の木の下に細長い葉が落ちていることがある。その鮮明な深い黄色を見ると、バナナを思い出す。葉の形状も色も似ているからだろう。少年の頃(昭和30年代)、バナナは高価で遠足の時くらいしか食べられない特別なものであった。それも弟と分けて一、二本持っていければ、この上ない贅沢というものだった。飲み込むのが惜しさに、いつまでも口の中に入れていたものである。

 

白の記憶

小学生の頃、叔父から真っ白な伝書鳩をもらった。当時,飼育するのが流行っていたのだ。その中でも白い鳩は格別な美しさであった。熱心に育てて、一年くらいも過ぎただろうか。そろそろ慣れて、放しても戻ってくるだろうと、はらはらしながら飼育箱の戸を開けた。しかし、帰っては来なかった。あまりにも残念で、惜しくて、飼育箱はそのままにしておいた。

それから一年ほどして、あの白鳩が小屋の屋根のてっぺんにとまって、しばらくこちらを見おろしていたのである。忘れずに帰って来てくれたんだと心躍らせ、箱に入るのを隠れてじっと待った。しかし、次の瞬間、飛び去ってしまい、二度と姿を見せることはなかった。

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