神谷バー

浅草1丁目1番地1号……住所表示が建物の壁に書いてある。これを見ただけで何か「初」や「元」というような言葉が浮かび、惹かれてしまった。初めて見た40年以上も昔、20代前半のことである。古いビルながらも洒落た造りで、西洋風の縦長の窓ガラスは上がアーチ状になっている。そこから琥珀色の灯りが、周りの雰囲気とは異なった感じで漏れている。地下鉄銀座線(現在は東京メトロと言い、他にも東部伊勢崎線や都営地下鉄などが集まっている)の浅草駅を降りると吾妻橋の袂に出る。吾妻橋は落語にも頻繁に出てくる昔から有名な橋である。そして、道路を挟んだ向かいにそのビルはある。現在も使われている3階建てのビルは大正10年に建てられたものだそうだ。なにしろ1880年(明治13年)創業の「日本初のバー」である。20代の頃にその存在を知り、浅草へ行くたびに通った懐かしい場所である。近年は上京して時間があれば、浅草演芸ホールで落語を聞き、帰りに神谷で一杯、二杯…というのが私の望みである。蛇足ながら、近くにある観光スポット「東京スカイツリー」などは大嫌いだ。年を取るにつれ高所・閉所恐怖症になったのである。

 

ここで有名な飲み物が「電気ブラン」である。ブランデーがベースのカクテルで、ちょっときついが(40度)ストレートで、もしくはロックで飲むべきである。ウイスキーと同じで水割りにしてしまうと嬉しさ・おいしさ半減である。100年も前に考案された味と、電気が珍しい明治時代に「電気○○」と名付けられた当時の世相を想像しながら、ちびりちびりとやってほしいものだ。神谷バーは昔から文豪たちにも愛され、数々の小説や詩歌に登場しているそうだ。一つだけ紹介しよう。

一人にて酒をのみ居れる憐(あは)れなる となりの男になにを思ふらん

                  (神谷バァにて) 萩原  朔太郎

 この電気ブラン、今は地方都市横手でもスーパー「Y」の洋酒売り場にひっそりと並んでいる。数年前に偶然見つけて、ひとりで興奮したものだ。今はいくら遠く離れていても、インターネットで色々な物が買える時代になったことでもあるし、値段も一本六百円くらいと手ごろなので、普段飲む酒とは別に一本用意しておきたい酒である。お試しあれ。(勿論個人的な趣味で書いたもので、神谷バーからは一銭ももらっていない。)

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