大学卒業と同時に横浜市に職を得、ほどなくして先輩に囲碁を教わった。どこに打つべきなのか皆目分からず、楽しいものではなくむしろ苦痛に感ずるほどだった。三段の人に5子を置いても勝負にならなかった。20代後半に秋田に帰り、忙しさもあって実戦の機会はほとんどなかった。40代になり職場のT氏と打つようになり、囲碁大会の事務局を務めることもあった。この頃(平成9年)、業界の郡市大会に1級で出場し、なんの間違いかBクラスで優勝してしまった。決勝の相手がなんと先のT氏であった。その後十数年、再び実戦から遠ざかることになる。
退職して3年目の平成27年、T氏の喜寿を祝う会の席で囲碁同好会への入会を勧められ、水曜日と日曜日の午後に公民館へ通い始めた。初段を目指しているということで、初めは3段~5段の人たちに3~4子局で稽古をつけてもらった。この年は勝率もよく(30勝18敗)、順調に置き石は減っていった。ところが、昨年は厳しく(83勝93敗)先輩諸氏からしごかれている。そのかいあってか年末からは、五段のT氏に2子で打たせてもらっている。まだまだ、見損じや勝手読みが多く修行半ばではあるが、囲碁の楽しみが少し分かってきた気がしている。今年の目標は1目強くなることである。
欲張りな人間性を盤上にさらけ出して、言いようのない恥辱にまみれることが多く、反省の日々を送っていると、古典にあった。大昔から人は進歩がないのかなと、むしろ、ほほえましくなるのである。
『徒然草』百八十八段
…たとへば棊(ご)をうつ人、一手もいたづらにせず、人にさきだちて、小をすて大につくが如し。それにとりて、三つの石をすてて、十(とを)の石につくことは易し。十をすてて十一につくことは、かたし。一つなりとも勝らむかたへこそつくべきを、十までなりぬれば惜しく覺えて、多くまさらぬ石には換へにくし。これをも捨てず、かれをも取らむと思ふこゝろに、かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。