たちまちに蜩の声揃ふなり    中村汀女

梅雨明けが待たれる北東北は、きょうも30度を超える暑さである。そのため、最近は外の仕事はできるだけ早朝から午前の早い時間に定めている。日中だけでなく、夜も寝苦しい日が続いている。そんな中、心地よい音色を聞くようになった。蜩である。ようやく夜が明けたかという4時頃、かなかなと蜩が鳴き始める。しかし、4時半ころには泣き止んでしまう。朝の涼しい時間が好きなのだろう。そういえば夕暮れにも聞くことがある。「日を暮らす」⇒「日を暮らし」⇒「日暮」⇒「ヒグラシ」と命名されたそうだから一日の終わりに鳴くのがふさわしいのかも知れない。俳句にもよく詠まれ、初秋の季語にもなっている。しかし、私は涼しさを運んでくれる夏の早朝に聞くのが好きだ。床の中で足を思いっきり伸ばして、朝の冷気にさらす。開け放った窓からは「カナカナ、カナカナ」という音の波…。いかにも夏の朝にふさわしく元気が湧いてくる。

このように好きな音色なので、冬など季節外れに思い出して聞くのも一計かと録音することにした。初めは部屋の窓から録ってみたが、声が遠かった。しかも、妻の寝息やら「うーん」などという呻き声が入っていて、驚いてすぐさま消した。今朝は3時半頃に目を覚まし、4時頃からの録音に備えていた。もちろん、近くの森へ行って録ることにした。欅や杉の大木が鬱蒼と茂り、姿は見えねど(したがって画像撮影はできなかった)声は今朝も元気である。ICレコーダーに録ったのが次である。

ジーという音は雑音ではなく、他のセミの鳴き声である。蜩の声が止んだのに耳を澄ますと、じーという高音で鳴き続けているのだ。ニイニイゼミだろうか、よくわからない。(写真にある抜け殻も何というセミか知らない。)

時間帯を決めて鳴く蜩は、なんだか奥ゆかしい。朝から晩まで鳴いている他のセミは節操がない。アブラゼミやミンミンゼミなどは暑苦しいし、うるさいと感じることさえある。我が家の庭には植えて30数年経ったハクモクレンの木があり、その周辺は毎年セミの抜け殻が驚くほど見つかる。だから、暑苦しいのうるさいのと言ってはいるが、昔からセミは馴染みの身近な存在である。ただ、残念なことに蜩は数年前にやってきたことはあるが、その後姿を見せていない。自宅から100mほど離れた所に前述の森があり、そこから聞こえてくるばかりである。まあ、彼らにしてみれば過ごしやすい快適な大木があるので、当然と言えば当然のことである。声だけでも感謝して聞かせてもらうこととしよう。

ひぐらしをさびしがる娘と居りにけり  日野草城

空蝉
空蝉

 

 

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