季節の花…柿の花と若葉

【秀逸】 水口(みなぐち)に 音符の群れや 苗運ぶ

(評)小川から田に水を引く口を水口と呼ぶ。かつては山の神が田の神として下りてくる入り口と言われてきた。その水口の水音を音階に例えたものだろうか。

5月14日に投句していた3句のうちの最後の句が、今朝、秀逸に選ばれていた。(よみうり文芸・秋田地域版)他の句は次の2句である。

・ 柿若葉 通い始めし 子らに似て     ・ 代掻きの 田に朝陽さし 蕨採る

短歌と違って音数が短いために、俳句は言葉選びに苦労する。普段、いかに何も考えずに言葉を発しているかと暗い気持ちになることがある。思いを、心の中のほのかな感動を、映像を、「これだ」と決めて表現しているつもりだが、読む人にそのまま伝わるかと言えば、決してそうではない。読む人の感性によって景色は変わってくるのだ。まあ、そこが俳句の幅というか、奥深さなのかもしれない。選ばれた句でいうと、「音符の群れ」は選者の方は音と捉えたようだ。しかし、自分は「おたまじゃくし」のつもりであった。少年のころ、田植え時には水口に、「おたまじゃやくし・ナマズの子・鮒の子・ドジョウ」などがたくさん集まっていたものだ。そんな記憶を句にしたものだ。評を読むと、音を感ずるなどは、さすがに選者だけあるなあと感心してしまった。映像よりもここは音のほうが良いのかもしれない。人によって想像の幅がどんどん広がり、それぞれの味わいになってゆくのだろう。たまには俳句もいいものだ、と改めて感じている。

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