4月3日、初めて車で北海道に渡った。長時間の運転は久しぶりで、やや不安はあったものの、北の大地は走りやすく、さほど疲れを感じず楽しい時間を過ごすことができた。天気にも恵まれ、青森港を10時に出港。海はいつ見てもいいもの、体の隅々の細胞まで活性化してくるのがわかる。

途中、マグロで有名な大間はあの辺りかなと眺めていると、クジラに似た島が見えてきた。とりあえず写真に収めて後でパソコンで拡大してみると、灯台が設置されているようだった。海図で調べると正式名称もわかるのだろうが、船乗りでもない私にはそこまでする気は起らなかった。灯台の光の出し方は一つ一つ全部違っていて、船乗りはそれによって自分の位置を確かめられるのだそうだ。いずれにせよ、こんな小さな島でも航行にはおおいに役立っているのだな、あるいは小さな島だからこそ危険回避のために灯台が必要だったのかな、などと想像している。(後日、あるTV番組で大間を紹介しているのを偶然見て、地元では特別な島であることが分かった。鯛島というそうで、古代の悲話が残っていた。昔、蝦夷征伐に訪れた坂上田村麻呂に地元の女性が恋に落ちた。しかし、田村麻呂は都へ帰ってしまったため、悲嘆にくれた娘はここで海に身投げをした。ここ鯛島では古くから娘の供養をするとともに、漁の安全を祈願してお祭りを行っているということであった。島の周りの海藻は身投げした娘の衣装だとして決して採らないそうである。)

いやあ、それにしても津軽海峡は時間がかかる。フェリーで3時間40分、乗船手続きは出港40分前までなのだが、事前にインターネット予約をしておくとスマートチェックインとかでバーコードをかざすとすぐに発券される。それはいいのだが函館に到着してから船を降りるまで、また少し待たされるのだ。修学旅行で通った時代とほぼ同じ4時間を要する。船旅はゆったりとゆとりを楽しむものなのだろう。ごろりと横になって眠るに限る。ただし、私のようないびきの大きい人は、はた迷惑を考えなくてはならない。そんな訳で眠りは極々遠慮がちにしたのであった。さて、近くの部屋には写真のようにプロレスの人たちも乗船していた。大型バスで巡業して歩いているようだった。ちらっと覗くと、鍛え上げた大きな人たちが横になって休んでいた。彼らはさすがにそこにいるだけで迫力がある。船内が暑いのか、一人はハーフパンツだけで上下とも裸だった。年配の人もただ者ではない雰囲気をむんむんと漂わせていた。

 

次の写真は船で行かないと見られない函館山だ。いつもはロープウェイで山頂に登り、寒い思いをしながら夜を待って夜景を眺めるのだが、ああ、こんな配置になっているのかと見上げてしまった。さあ、函館上陸だ。ここで、恥ずかしながら失敗談だ。5年前のカーナビをそのままにして更新していなかったのである。目的地である旭川の住所は入力済みだったので問題なかったのだが、道央自動車道に上がるまでの地図が、私の記憶だけだったのだ。計画を立てる段階で、大沼公園からでないと乗られないと知っていたのだが、そこまでのナビが点線だったのだ。およその土地勘で間違いなく大沼公園まで無事に行けたのだが、隣の妻がぎゃーぎゃーうるさくて閉口した。かつて横浜へ行った際には住所を入れてあった携帯電話の電池切れでたいへん困ったことがあったので、それ以来、信用されていないのだ。

横手を発つ前に満タンにしておいた燃料も残り少なくなってきた。計画段階で道央自動車道にはふだんカードで入れているエネオスが3か所しかないことを調べていた。有珠山SAがその一つである。予想通りに間に合ったことに自己満足して思いっきりストレッチをし、さあ出発。だいぶ陽も傾いてきた。時速120kmくらいで7時半頃の到着を目指す。

(娘宅に時間通り着。孫たちの歓迎を受け、7日まで滞在)

帰りは生憎の雨の中を出発となったが、函館に着くと快晴。航跡(引き波とも言うそうだ)を眺めながら北海道を後に……。北海道は3月にも一週間行ったし、年に数回訪れているが、札幌の後輩には今回も会えず、ゆったりとした観光目的の時以外は難しいなと実感している。知床や礼文島など、このあと行きたいところも残っているので、それまでの楽しみとしたい。

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