10月に入り、ようやく過ごしやすい季節になった。しかしながら、ここ農村地帯のど真ん中は「禾(のぎ)公害」に悩まされている。かつてはどこの家でも個々に行っていた籾(もみ)の乾燥と籾摺り(もみすり)、精米…、これらの作業、特に乾燥機・籾摺り機からでる埃は非常に細かい禾(稲などの穂先についている毛)が混じっているためチカチカするのだ。近年はライスセンターなどに集約してまとめて行う形態になってきたが、まだまだ個人で処理する家があるのだ。昔はそれが当たり前で気にもならなかったが、田んぼは委託して自分の敷地内では禾をまき散らさなくなったら、俄かにその影響を感ずるようになった。なぜ公害などと大げさに書いたかというと、埃が飛び散って窓を開けていられないのである。洗濯物がだめになるし、埃が屋内に入るのだ。残暑厳しい折なのに窓の締め切りは、短い期間とは言え、さすがに参ってしまう。プラスチックなどのゴミを燃やす家もあり、これは一年中である。農作業は仕方ないとしても、鼻にくる刺激臭には人も洗濯物もたまったものではない。川には平気で生ごみを捨てるなど、田舎人のマナーの悪さは恥ずかしい限りである。
季節の挨拶でもと書き始めたら、とんだ愚痴になってしまった。秋の美しい空について紹介しようと思っていたのに筆が滑りっぱなしのようだ。
朝焼けの光が窓に映り、雲の広がりが見渡せたので、急いで村はずれの田んぼへ行った。数百メートルの移動で障害物はすべてなくなる田園地帯である。新聞配達の軽自動車がライトをつけて走り去るだけで、人影はない。十数枚撮影した。写真では止まってしまうが、空は刻々とその表情を変えていく。すべてはまだ姿を現さない太陽のなせる業である。日の出の瞬間をトランペットの音で表現した文章が、かつて中学校の国語教科書に載っていたことを思い出した。甲斐駒ヶ岳の山頂で見た日の出の場面であった。題名は忘れたがなんとも生き生きとした文章だったので、記憶に残ったのであろう。早朝の秋の空は平地のここでも十分に楽しめる美しさであった。