10月25日、上野にある丸谷ホテルに集合して、3年ぶりに学生時代のOB会が行われた。文部省の外郭団体「学徒援護会」が運営する東京学生会館という寮に住んでいた者たちの集まりである。下落合にあるその会館は、大学ごとに部屋が割り当てられており、自分たちの大学は8部屋くらいあった。4人部屋なので30人くらいが暮らしていた。5階建鉄筋コンクリートの建物で、都内の大学生が数百名暮らしていた。私は46年11月から卒業する50年3月までお世話になった。寮費がなんと月800円だった。その後、いくらか値上げもあったが、この学生会館のおかげで大学を卒業することができたと思っている。経済的にはもちろんだが、共に暮らした先輩諸氏、同輩後輩のみんなに、教えられ、鍛えられ、導かれ、助けられて生活できたのであった。18歳までは親の庇護のもと、しかし、18歳からは初めて一人で始めた生活だった。この学生会館での暮らしがあったからこそ、その後の社会人生活が送れたのだとしみじみ感謝している。

戦後の学徒を支援し、貧しい青年たちの理想と熱意を育んだ「東京学生会館」は、現在、6階建ての豪華な「特別養護老人ホーム」(写真)になっている。自分たちと共に会館も年老いた結果ということだろうか。

西部新宿線の線路。右の交差点の手前に下落合駅がある。なんと立派な建物であろう。
上記2枚はGoogleマップより。

3年前に初めて開かれたOB会だが、今回は昭和42年入学~昭和50年入学までの方々22名が参加した。自分は46年入学なのでほとんどの人が分かるため、実に楽しく懐かしい時間を過ごさせてもらった。45年ぶりに再会できた方々もいて、互いの容姿の変化に驚いたり、話し始めると昔と変わらぬ人柄に安心と喜びを感じるのであった。

翌日、12名ほどで日本橋人形町界隈の下町散歩をした。「日本橋七福神詣り」という神社巡りである。① 笠間稲荷神社 ② 末廣神社 ③ 松嶋神社 ④ 水天宮 ⑤ 茶ノ木神社 ⑥ 小網神社 と、六社回ったあたりでみんな疲れてきて、昼食ということになった。あと一つは何という神社なのか、信心の薄い自分はたいして気にも留めずに過ごしてしまった。帰宅して調べたら、「椙森(すぎのもり)神社」というのが残っていた。

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親子丼で有名な「玉ひで」という所へ行ったのだが、人気店ということで大変な行列だった。食べるのに並ぶということをしない自分にとっては、面倒だなという思いはあったが、そこは団体行動である。11時15分頃から並び、「いただきます。」をしたのは12時だった。1800円~3500円という庶民には高値の親子丼、味は申し訳ないが口に合わなかった。一個300円もする烏骨鶏の卵を使っているとか、軍鶏の肉だとか言われても、味なので個人の趣味がある。自分には「甘さが強く、味が濃い、しょっぱい」と感じたのだ。関西から来た先輩は、「東京は味が濃くて…。」と言っていた。二、三そういうつぶやきはあったものの、皆さん、満足そうにおいしそうにたいらげていた。しばらく「うどんと蕎麦があれば、関西ではほとんどがうどんを注文する。」「ラーメンも東京はスープが真っ黒で驚いた。」などと関西と関東の味の違いなどを話しながら旧交を温め、またの日の再会を期して別れたのであった。

入り口の左右に列ができていて、どうなるかと興味を持っていたら、ベテランの女性店員が何度も出てきて列の整理をしていた。その結果、右側が優先で左側の人たちは折り返すのであった。
後で調べたら、現在の店主は我々一行と同じ大学の卒業生だった。
地ビールはおいしかった。濃い感じがした。
卵のとろ~り感はさすがだったが、甘い!しょっぱい!

 

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