健全な生活を営んでいる大方の人たちは、刑務所とは縁がないことであろう。私も今のところ直接には縁がない。親類・縁者もお世話にならずに今まで過ごしてきた。今朝の讀賣新聞で「刑務所にあって、一般社会にはないもの」、などという見出しがあったので読んでいた。すると、何を一生懸命に読んでいるのと妻がのぞき込んできた。記事の内容はさておいて、「いやあ、何といっても刑務所には2回行ったことがあるからなあ。」と妻に答えたのであった。妻は妻で「今度、あんたが入るんじゃないの。」などと笑っていた。

実は若い頃、横浜の笹下刑務所へ行ったことがあるのだ。収監されたというのではない。勤務先の隣が刑務所で、そこでは春の運動会と秋の文化祭が行われ、一部外部へ開放されるのである。誰でも行けるわけではなく、招待状が必要なのだ。当時を振り返ると、ざっとこんなふうである。朝の打ち合わせで管理職から、「今年も刑務所から招待状が来たのだけれども、今度の日曜日に誰か行ってくれる人はいないだろうか。」なにやら迷惑そうな表情でお願いの弁である。若くて好奇心旺盛であった私は、はい、と手を挙げて「行かせてください。」と申し出た。他に希望者などいるはずもなく、即決であった。

当日、招待状を手にして出かけた。受付を通り、〇棟から△棟へと案内され、中庭の運動場まで行くのであった。途中、棟が変わるたびに厳重なチェックが入り、刑務所らしいなと感じたのであった。カメラを持って行ったのだが、予想通り初めの受付で預けることになった。中庭に着くと、テントが張られており、来賓席に案内された。お茶も出た。来賓は20名足らずだったと記憶している。

受刑者の競技が始まった。まずは彼らの服装である。頭は丸刈りで、上半身は白いランニングシャツ。下は白い猿股(サルマタ)で統一されている。応援席を見て、驚いた。なんと新聞紙でも突っ込んだのだろうかブラジャーをして、顔には口紅や頬紅・アイシャドーなどで化粧をした男たちが騒いでいるのだ。聞くところによると、何年も男だけの閉鎖された社会で生活する受刑者に、この日だけはハメを外すことを許しているということであった。競技で興味を引いたのは、「俵上げ競争」である。昔ながらの米俵は60kg入りの大きなものだが、半分くらいの大きさの俵を誰が最後まで頭上に上げ続けられるかを競うものであった。来賓席のテント前に数人の選手が並ぶ。シャツからは刺青をのぞかせる者が多い。大柄な偉丈夫、細いが筋肉質な者とさまざまである。最後に勝ったのは、細身ながらも均整の取れた筋肉質の男であった。

弁当をいただき、帰りには「ローズ石鹸」をもらって帰った。この石鹸は笹下刑務所で作られたもので、全国の刑務所で使われているということであった。当時、独身であった自分は、しばらくの間、このローズ石鹸で洗濯をしたのである。40年以上も前の、断片的な記憶である。

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