ホテルニューグランド。正面から入ると、石造りの階段や内装が歴史を感じさせる。

10月28日(日)、私用で横浜を訪れた。初任地でもあり思い出深い町である。当日は横浜マラソンが行われていて、山下公園のあたりはたいそう賑わっていた。目的地である横浜・ホテルニューグランドは山下公園のすぐ向かいにある。開業90周年というクラシックホテルで、昔から知ってはいたが、こんなところで食事ができるとは考えてもいなかった。会場設定をした長男に密かに感謝をしながら、館内に入った。ここは、かのマッカーサーが宿泊したり、作家大佛次郎が宿泊して執筆活動をしていたという逸話が残されている有名な場所だ。ホテルのHPから引用する。

「そもそも進駐軍が最初の滞留地を横浜とした陰には、最高司令官の宿舎 として、戦火を逃れたホテルニューグランドがふさわしいとの意見があったから、と伝えられている。マッカーサー元帥専用室に当てられたのは315号室。横浜港に面した3階にあるこの部屋を、「気に入っ た」と副官に告げていたという。

このあと元帥はわずか3日滞在した後、次の居留地へと移ることになるのだが、実はマッカーサーがホテルニューグランドに宿泊したのは、このときが初めてではない。
1937年、フィリピン軍事顧問として当時のケソン大統領訪米に随行、その帰り訪日した際に、彼にとっては二度目の結婚相手であるジーン婦人との新婚旅行として、ホテルニューグランドに宿をとった記録がある。」

また、大佛次郎は10年間にわたり、このホテルを創作活動の場にしていたという有名な話がある。次もまた、HPからの引用である。

「…仕事をするにもハマでないと気分がのらず、ホテルニューグランドの一室に閉じ籠って多いに遊んだのもそのころだ。 318号室-それがぼくの部屋だった。ホテルの3階にあって、港が真正面に見えて、展望は良くきくし、実に住み心地のよい場所だった。 とくにボーイの気のきくのがいて、仕事の時は参考の書籍をきちんとそろえて待っていてくれる。 ノコノコ鎌倉の自宅からホテルに入るとすぐ筆がとれるといった 具合だった。…」(著書「横浜今昔」より)

熊魚菴(ゆうぎょあん)
個室からの眺め

ホテル内にあるレストラン「熊魚菴」たん熊北店。ここで上京の一番の目的である食事会が行われた。京懐石の料理で、庶民の私には何やら物足りなさもあった。が、やはり、上品でおいしかったし、良い経験になったと思っている。会食後は中庭を散歩し、すぐ向かいにある山下公園を散策した。この公園は関東大震災で出た大量の瓦礫を埋め立てて造られたという。中のバラ園には数多くのバラが手入れされており、見事であった。このあたりのホテルに仕事で訪問をしたこともあって、当時のさまざまなことを思い出しながら、暮れていく横浜の海を眺めたのであった。

翌日は、上野の森美術館で開催されているフェルメール展へ行った。これまでにも何度かフェルメール展のために上京している。同じ上野公園内にあるにある国立西洋美術館、六本木にある新東京美術館などである。今回は入場日時指定チケットで入場時の混雑を緩和するもので、事前にネットで購入していた。しかも休日を避けて月曜日の11時~12:30入場にしていた。だから、時間までに行けば悠々と入れると高を括っていた。ところがどっこい、さすがにフェルメールである。15分前に行ったのだが、100m以上の長蛇の列である。仕方なく最後尾に並んだ。展覧会そのものは、これまでと違って全員に作品解説用の音声ガイドが配られ、入場制限はするけれども見学はいつまででも自由という方法で、人は多いが意外とゆっくりと見学できた。これまでだと心太つき方式で後戻りもできず、なにやらもの悲しさを感じていた。そのためか絵画好きの妻も満足げであった。お昼は公園内にあるレストラン「精養軒」で食事をして、旅の日程を終えた。

スライドショーには JavaScript が必要です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です