桑の実。まだ赤いのが多く、濃い紫から黒になると食べごろだ。 

 少年時代、食べられる木の実を求めてあちこちと経巡って歩いたものだ。夏場は桑の実(カッコと呼び、口の周りを紫にしている子どもたちがいた。)スグリ・グミ(茱萸)・スモモ(李)・アンズ(杏)、赤スモモ(アガズモモと呼んでいたがハタンキョウ巴旦杏のことではないか。)そして、桃。秋にはクリ・カキ・ナツメ(棗)などである。桃は近所では珍しいため、年上の子どもたちの後でないと採ってはいけないことになっていた。どこの家に何の木があって、いつ頃実るかは頭に入っていた。クリは台風などの大風が吹いた翌朝、いち早く拾いに行くのである。寝ていても明朝のことが気にかかり、心が急くのであった。秋も深まり、シーズン終了の初雪が降る頃にはほとんどの果実がなく、木守カキくらいしか残っていない。しかし、まだある。ケンポナシである。雪の上に落ちている茶褐色の実をしゃぶると独特の甘みがあって、よく食べたものだ。村にはT家の庭に一本だけあったと思う。いずれにせよ、他人の家の所有物なのだが、子どもたちの行動には怒りの声をあげる大人は誰もいなかった。現代ならどうなのだろうか。

<赤スモモ> 幼なじみのKの家に、大きな赤スモモの木があった。上の方にはとっぷりと熟れた実がたくさん見えた。Kは木登りが苦手で、私が登って採ってくることになった。登っていくと目標の実が見えてきた。しかし、そのすぐ近くに足長バチの巣があった。Kはそんなことは構わずに長い竹棒でバチバチと枝を叩いて実を落としていた。私は大きな声で蜂の巣のことを告げたが、すでに遅かった。顔の周りに蜂が群がり、逃げようにも両手は枝につかまっている。瞼や鼻の下などあちこちを刺され、無残な顔になってしまった。普段の日ならこれくらいなんともなかったが、この日は夕方から野外で映画を上映する日であった。(その頃は時々そんな娯楽があった。)ささやかな楽しみで、村じゅうの人がゴザをもって集まってくるのだ。私は、ニラの葉をつぶして顏につけてみたが、さほど効果はなく、ひたすら暗くなるのを待っていた記憶がある。人の良かったKは、数年前、突然亡くなってしまった。

<ケンポナシ> 50代になって県南の太田町に勤務したところ、そこの敷地内に立派なケンポナシの木があって、実がたくさん落ちていた。誰も見向きもしない様子だったが、俄かに40年も昔の記憶が甦り、食べたり写真を撮ったりして周囲に奇異な目で見られたことがあった。

ケンポナシの木
よく見ないと分からないが、葉の上部に茶褐色の実がたくさんついている。
夏には白っぽい色をしているが、秋には茶色に熟れて子どもたちを誘う。

<ナツメ> 小さなひょうたん型の実だが、りんごに似た味わいで好みの実である。すぐ南の家の庭に一本生えていて、放し飼いの鶏たちが木の周りで地面をついばんでいた。卵を買いに行くと、おばあちゃんがまだ温かい卵を籠に入れてくれた。1個10円だった。そんな記憶の中に、垂れ下がった枝にいっぱいついたナツメが浮かんでくる。なお、この実を果実酒にすると、香りがよくやや甘口で、家内には好評であった。近年、あまり見かけなくなった木だが、たまに見つけると写真に撮りたくなるのだ。

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